同性婚を巡るマイナスのテープ

今日本で同性婚の訴訟が提起されています

 

当事者の方が勇気をもって国に対して裁判を起こしたものです

 

 

これに関して当事者の方のスタンスは多くの人に関心を持ってもらいたい

 

ということで、必ずしも応援団だけではなくて反対する人に対しても対話をしようと努力されています

 

 

こうした努力にもかかわらず

 

特にネットを中心に

 

お金目当て

気持ち悪い

家庭観を壊す

当事者としても迷惑

 

 

といったステレオタイプの反応が拡大再生産しています

 

 

こうしたマイナスのテープというようなネガティブな反応の連鎖は

 

今に始まったことではないのです

 

むしろ当事者の方の声を拾ってみると、オリンピックで追い風になって可視化が進み、肯定的に捉える人が増える反面で

 

 

バックラッシュといって

 

その反動でマイナスのテープの音量も大きくなるのではないかという風に心配になってる人もたくさんいます

 

 

同性婚に関しては国を対象とした国賠訴訟だということから

 

 

かなり当事者にとって厳しい裁判であることは間違いないです

 

 

実際毎日心細いのではないかと思います

 

 

こうした逆境を、毎日挑戦の日々だという風に受け止められる人は、本当に小数です

 

 

世の中には賛成の人と反対の人がいますが、大部分の人が無関心な人が多いです

 

 

マイノリティーの問題は、だからこそ解決せずに今まで放置されてきたのではないかと思います

 

 

同性婚と言うと今後の人は自分とは関係がない問題だという風に捉えているのではないかと思います

 

 

自分に関係はないけれども、当事者の人にとっては大問題ということが世の中にたくさんあります

 

 

これは1時期、高輪ゲートウェイという駅名が物議を醸しましたがほとんどの人にとっては一過性の話題でもう今では忘れ去ってるかもしれません

 

だけれども、本当に高輪で暮らす人にとっては、毎日、こうした名前と向かい合って暮らすわけですから

 

 

超ブルーな話題なわけです

 

 

 

 

 

なので、同性婚に関しては高輪ゲートウェイ以上に本当に自分が生まれてきた意味だとか、人を愛することについて無かったことにされてしまう

 

 

こうした切実な問題があるのです

 

 

これを社会的な死という風に定義することができます

 

 

つまり、身体的にも精神的にも生きているけれども

 

 

社会的に愛する人一緒にいることが社会的に承認されない

 

 

これはもう存在自体がないことになってしまう訳ですから

 

 

社会的な死というものが、制度によって定義づけられているわけです

 

 

 

例えばこれが女性であったり、障害者であったり、その存在自体が社会に承認されないことで

 

 

社会的な死というものに強いられている人達というものは、たくさんいました

 

 

人間というのは、自分の価値というのを他人から認められたり、無条件に愛されていると感じることで

 

 

社会的に生きていくことができます

 

 

なので、同性婚の問題というのは基本的には、ライフハックの問題であり

 

 

そのライフという意味に

 

社会的に死なずに済む

 

 

生存という意味のライフハックであるわけです

 

 

ライフハックはそのライフという言葉に三つの意味がありますが

 

 

生存

生活

人生

 

 

そして、同性婚訴訟の原告の方々が訴えているのは

 

 

社会的に死なないために

 

もしくは権力や法律そういったものに

 

将来、自分と同じ思いをしてほしくない、そして自分自身も自分の愛するパートナーと共に自分の人生を精一杯生きる

 

そういった決意が可視化され、言葉になっている瞬間を私たちは見ることができる訳です

 

 

なので、同性婚訴訟の一つのテーマは例えばそれが制度的に養子縁組と根本的に違うのは

 

 

ライフハック

 

という視点であり、これからの時代、ライフハックにより私たちの生活は私たちの人生はますます良くなる

 

 

そういった希望のための訴訟であると

 

 

そういったメッセージがふんだんに込められていますので

 

 

この問題に対してどうかどうか、マイナスのテープをとめて

 

 

何が起ころうとしているのかということを見つめるきっかけにして見てください