アイデンティティーという言葉が自己同一性と訳されるはずですが
いつの間にかアイデンティティーの持つ意味が帰属意識に変わってしまったように思います
元々アイデンティティーという言葉は成長過程の中で
身体と意識が一体化とされ十分にコントロールできること
という人生の中の一つの機能として理解するものという風に学んだのですが
帰属意識を表すバッジのようなもの
という風に軽くなってきた気がします
なので、サラリーマンの人達が自分達の競技に対して満足をしていないけれども、そこから決して逸脱しようとしないのは
この帰属意識という罠なのかなと思います