確かに僕が「表現の不自由」の展示を任されてたら(立場としては津田さんではなく委員会5名の方)、こういう展示にしてたかも。僕、徹底的に悪趣味なんで。まあ僕作家としても呼ばれないわけだ… pic.twitter.com/UdprKUdZaC
— 会田誠 (@makotoaida) 2019年8月4日
会田誠 on Twitter: "確かに僕が「表現の不自由」の展示を任されてたら(立場としては津田さんではなく委員会5名の方)、こういう展示にしてたかも。僕、徹底的に悪趣味なんで。まあ僕作家としても呼ばれないわけだ…… "
権力と反権力というような枠組みで当たり、右翼と左翼のように単純に物事を考えていると
ああ、そういう方法があったのか
というような発想が抑圧されることがあります
世の中の構造主義と呼ばれる問題に対して右とか左や権力と反権力のように
過度に単純化して考えること自体が一つの抑圧装置として機能して、それが権力を持つ
理屈で言うと難しそうですが例えば天災バカボンだったりドラえもんの秘密の道具だったり
想像力を働かせて色んな、多様性のある問題解決を考えていくというのは、新しい方法だという風に思います
最近はこの多様性という言葉自体も、母音ように使われることが多いので、もっと別の言い方で物事を考える方向があると思いますし
あー、なんだそういうことだったのか言われてみれば
といった問題解決の方法を、芸術は時として与えてくれることがありますので、そのような感じで表現の自由を考えていきたいと思っています