世の中には不確実性というものがあります
この不確実に対して説明する方法としては
平均値や分散
といったある種の散らばりで考える方法があります
たった1度の事象に関しては何が起こるかわからない
こういったものを不確実性と言います
今回コロナウイルスの件で
不確実性の評価をすること
不確実性自体をゼロリスクとなるように行動をすること
こういった意見がありますが
この両方がリスクコミュニケーションということで、大事だと思いました
Twitterでは上念司さんと百田尚樹氏がコロナウイルスについていくつか興味深い発言をしていました
該当のリンクなど
上念さんに言わせれば私も放射脳なんだろうが、私は今回、最悪の事態にならなかったとしても(それを望んでいるが)、日本政府の初動における無為無策は、この国の危機管理能力の無さを露呈した問題だと見ています。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2020年1月31日
ちなみに朝日も立民も事態を軽視し「中国観光客を止めるな!」と主張していました。 https://t.co/Lm3Ci3Dhwl
リスクの評価という点では有益な情報を提供してくれる上念さんの行動と取り組みというのはとても評価できます
そして百田尚樹さんが言っているのはそのアウトカムが生存のようなものに関してはそれとは別に考える必要がある
という風に理解をしました
これは両方とも正しい
という風に思うのですが、いかがでしょうか
こういった総合的な政策学のプロ、専門家が生まれることを期待したい。
— 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2020年2月1日
ちなみにリフレ派の経済学もその全貌をまとめると様々な領域とクロスしていて、それは一種の総合政策学の様相を示していると思う。未完の。
疫学というのはそのアウトカムに死亡が含まれている場合は、確率論だけでは考えられない、倫理的な問題があります
百田尚樹さんは例えばコロナウイルスで死亡のリスクにさらされている人が1人でもいれば国が総力をあげてその人を救いに行く
もしくは、感染が広がらないように国が全力をあげて国民を守る
それは数の多い少ないではない
ということを言いたかったのではないかと私は理解しました
一方で、疫学的なデータが少しずつ出てきていますが標準的な予防の方法である程度防ぐことができる
といった情報はとても大切だと思いますし、
例えば交通事故と飛行機の死亡率というのは、飛行機の方がより安全とも言われていますが
こういったリスクの感覚というのはデータでないと判断しにくいことがあるので新型ウイルスとインフルエンザやこれまでの進行感染症とのリスクを比較すること
その過去のリスクのレベルに応じて対応をとる
ということは、妥当だと思っています
ただし、情報が少ないことそして、中国の情報開示がどの程度信頼できるのかということ未知のリスクがどれだけあるかということ
必要以上に恐れる必要はない
ということを繰り返し上念さんはおっしゃっているように思いました
コロナウイルスは新興感染症であるので、国レベルの取り組みと、個人レベルの取り組みがあるのと、
この責任の所在についての言い争いについては、ひょっとしたら聞いてる私達の誤解もあるかもしれないので
きちんとリスクを評価すること
国レベルの対応と、個人レベルの対応の両方に意識すること
そして、感染症ですから確率はともかく、重症化したり亡くなったりする人達は、どうしても不幸にも出てしまうので
そういった治療についても、全力で応援して
かつ感染してしまった人が不安にならないようにそして、差別を受けないように
私達はリスクコミュニケーションをとっていく必要があると思います